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潮干狩りとは [潮干狩りとは]

潮干狩り とは、遠浅の砂浜で砂中の貝などを採取することである。貝拾い、貝掘りなどとも言い、春の季語でもある。

日本での潮干狩りのシーズンは春から夏が一般的で、ゴールデンウィーク頃の風物詩。全国各地の潮干狩り風景が、各種メディアで伝えられる。

干潮時に潮が引いた浜辺で、熊手等を使って砂の中に潜っている貝を掘り出してバケツや編み込んだ袋などに集める。

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潮干狩りで採取する貝は、日本ではアサリがよく知られる。他にもハマグリ・バカガイ・マテガイなどで、人や地域によってはアナジャコ等も採取される。

料金を徴収する潮干狩り場によっては、人の手で貝を蒔いている所もある。採った貝は体内に砂を吸い込んでおり、砂を吐かせる必要があり持ち帰って調理する。

一般には潮干狩りとは呼ばないが、岩礁海岸でイシダタミなどの巻貝類を採取するのも春に行われることが多い。

これらは、初夏までの楽しみである。海岸線におけるこのような動物が、よく育つのがこの時期に集中するためである。夏以降は海岸の動物は減少する。

潮干狩りは砂浜にしゃがみ込んで貝を掘り当てたり掻き集める姿勢を保たねばならないので、汐の干満に合わせて行なうことが望ましい。

具体的には引き潮に合わせて徐々に干潟となっていく砂浜を海に向かって追っていき、満ち潮に合わせて陸に戻ってくる。

干満の時間帯は地域によって若干異なるので、潮汐表や新聞などであらかじめ調べる。出発時刻を到着時刻から逆算して行動すると、長時間安心して楽しめます。

二枚貝の種類によって水管を出す穴の形が異なるので、それらを観察することで狙ったものを採ることができる。マテガイの捕獲には、独特の方法が用いられる。

大き目のスコップで砂を掘ると、小さな穴が開いており潮が吹いている。マテガイの棲息する穴であれば、食塩を一摘み入れると貝がニュッと飛び出してくる。

この一瞬を捉えて、指で抜き取る。穴の中で水管などを露出し呼吸しているマテガイが、高濃度の塩分に驚き貝柱を急激に収縮させる習性を利用したものです。

「ちびまる子 潮干狩りに行く」の巻

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長崎帆船まつり 花火 [長崎帆船まつり 花火]

「長崎帆船まつり」 は、2000年の日蘭交流400周年を記念して、長崎港で毎年4月のゴールデンウィーク前に開催されるようになった。
日本で随一の帆船イベント!

鎖国時代に、唯一貿易港であった頃の 「長崎港」 の様子を国内外の帆船が参加して再現。港町長崎に、国内外から大型を含む数々の帆船が集結する。

観光の目玉として広く全国から観光客を誘致する目的で、出島ワーフから常盤地区や松が枝埠頭にかけて長崎の港が優雅な帆船で飾られる祭りです。

迫力満点!一番の見どころの 「セイルドリル」。通常は外洋での走帆訓練の時しか帆を広げた姿は見られないのですが、長崎帆船まつりでは特別に帆を広げた優雅な姿を私たちに披露してくれます。

会場の 「長崎水辺の森公園」 は、港に面し色鮮やかな芝生が広がります。昼間のぽかぽかした陽気の中で、ご飯を食べたりちょっと寝そべりながら、目の前に広がる海と帆船の壮大な景色を眺め贅沢な時間を楽しまます。

4月27日(土曜日) と28日(日曜日) の午後8時30分からは、各日約1000発の打ち上げ花火がライトアップされます。帆船を岸壁からみながら打ち上げ花火をみると、かなりロマンチックな雰囲気が味わえますよ!


期間中は、体験クルーズや船内の一般公開があり大勢の観光客で賑わいます。参加船の数も年々増加傾向で、春の風物詩として定着しつつあります。



2013長崎帆船まつりの開催は、2013年4月25日(木) ~29日(月・祝) に行います。



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子供の日とは [子供の日とは]

5月5日は「子供の日」 で、国民の祝日です。男の子の節句と言われる 「端午の節句」 の日でもあります。
「鯉のぼり」 を飾ったり 「ちまき」 や「柏餅」 を食べたりしてお祝いします。

子供の日「鯉のぼり」

「鯉のぼり」をさがす


「端午の節句」 とは、奈良時代に中国から伝わった菖蒲(ショウブ)や蓬(ヨモギ)を 軒先にさして邪気を払う日だった。

江戸時代以降は男の子の節句とされ、武家では甲冑やのぼりを飾る。
それを真似て、町人のあいだにも武者人形や鯉のぼりを飾るようになりました。

菖蒲を軒に飾るかつての風習は、菖蒲湯につかる風習として現在にも残っています。
最近は、ハーブやアロマテラピーが流行っていますね。

●端午の節句の起源と変遷
・端午とは
端午の「端」は物のはしで 「はじまり」、「午」 は干支や暦に出てくる午(うま) のことです。
月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味。

5月に限ったものではなく、午(ご) と五(ご) の音が同じなので、毎月5日を指すようになる。
やがて、5月5日のことになったとも伝えられています。(奇数の重なることをおめでたいとする考え方から)

・節句とは
「節句」 とは季節の折り目を指し、「節供」 とも言います。
神様に供える食べ物を意味し、やがて年中行事を指す言葉となりる。

・端午が男の子の節句に
中国から伝わり、薬草を摘んで邪気を払うといった宮廷での端午の行事。

武士のあいだでは尚武(しょうぶ=武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになる。

江戸時代に、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定めらた。
大名や旗本が、式服で江戸城に参り将軍にお祝いを奉じるように。

将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。
薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事が、男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。

この風習は武士から、一般の人々へ。
玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、厚紙で作った兜や人形、紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていった。

江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して町人のあいだでは「鯉のぼり」 が飾られるようになる。

現在でも端午の節句のお飾りは地方によってさまざまで、鎧や兜、武者人形、馬や虎・若武者の人形、鯉のぼりや旗のデザインもそれぞれの個性があるものです。

・ちまきを食べるわけ
古代中国の人のあいだで 「粽(ちまき)」 は忠誠心に厚く、忠誠心の象徴と言われていた (これにも古事があるそうです)。
このことから、我が子に 「忠義の人」 であってほしいと願って、これを食べさせるわけです。

・「柏餅を食べるわけ
柏の葉は冬になっても落葉せず、新芽が吹くと落葉する。後継ぎができるまで親葉が落ちないので、めでたい木の葉とされている。
餅も神事に欠かせないもの、「餅を柏の葉で包んで供える」 ことになったということです。
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